吉野ヶ里遺跡で邪馬台国時代の石棺が発見!
みなさんこんばんは!
先日、佐賀県の吉野ヶ里遺跡で邪馬台国時代の石棺墓が発見されました。
この石棺墓は見晴らしのいい丘陵頂部に単独で埋葬されており、石の表面にら多数の記号が刻まれていることから、有力者の墓の可能性が高いと言われています。
吉野ヶ里遺跡は弥生時代の大規模な集落跡で、約700年間にわたって、小さな村からクニの中心となる40ヘクタールを超える大環壕集落へと発展しました。
1991年に国の特別史跡に指定され、現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部が公開されています。
今回は、この発見をきっかけに、邪馬台国や空白の4世紀について少し掘り下げてみたいと思います。
弥生時代後期(邪馬台国の時代)
邪馬台国は、2世紀から3世紀にかけて日本列島に存在したとされる国で、女王卑弥呼が治めていました。
邪馬台国の位置は未だに諸説ありますが、九州説、畿内説などが有力です。
卑弥呼は巫女であり、鬼道によって国を統治していたとされます。
現在この卑弥呼と邪馬台国に関する記録は日本では発見されておらず、唯一の史料は中国の三国志時代に書かれた魏志倭人伝のみです。
空白の4世紀
空白の4世紀とは、日本の歴史上で記録がほとんど残っていない時代のことです。
3世紀末から5世紀初頭までの約100年間で、邪馬台国からヤマト王権への移行期と考えられています。
この期間の出来事は中国側でも記録が見つかっておらず、どのようにヤマト王権が生まれたのか未だわかっていません。
また、古墳時代の始まりでもあり、巨大な前方後円墳や銅鏡などが出土しています。
邪馬台国はどうなったのか、邪馬台国が発展してヤマト王権になったのか、空白の4世紀は日本古代史で一番謎とされる時代で今なお様々な説が行き交っているのが現状です。
今回の発見で何か解明されるといいですね!
まとめ
今回は、吉野ヶ里遺跡で発見された邪馬台国時代の石棺墓をきっかけに、邪馬台国や空白の4世紀について紹介しました。
これらの時代は、日本の歴史の中でも特に興味深い時代ですが、まだまだ解明されていないことが多くあります。
今回の発掘で、邪馬台国や空白の4世紀の新たな情報、新たな国の痕跡が見つかるかもしれませんね。
まだまだ発掘されていないエリアはあるようなので今後の発見に期待したいです!
発見された石棺墓は6月5日に公開されみたいです。
今から楽しみですね!