「本能寺の変」とは何だったのか?
天下を目前にした織田信長が本能寺で家臣の明智光秀に謀反を起こされ命を落とします。
6月2日は日本史で1、2を争うミステリーと言われるあの本能寺の変が行われた日です。
信長の遺体の行方は現在もわからず、実行犯の光秀自身も6月13日に羽柴秀吉との山崎の戦いで命を落としてしまいます。
光秀はなぜ謀反を起こしたのか、動機が謎のまま今日に至ると言うわけです。
一般的には信長への怨恨説が有名ですが、他にも黒幕説が最近話題ですね。
光秀は実行犯なだけで裏で暗躍している人物がいたんじゃないかと言われています。
黒幕の説としては
など何人か候補か存在します。
この中では秀吉黒幕説はよく言われていますね。(中国大返しや備中高松城での毛利との和睦を早急に済ませるなど手際が良すぎるので疑われている)
秋公開の北野武監督作品「首」でも秀吉が裏で暗躍しています。(公開が今から楽しみです!!)
本能寺の変に関する説だけで80ぐらいあるんだとか。(ビートたけしさんが言ってた)
中には笑ってしまう説もありますが、案外、私たちが大袈裟に考えているだけで、意外とくだらない理由だったりするのかもしれませんね。
みなさんはどの説を推していますか?
個人的に秀吉黒幕説を推しています。
本能寺の所在地
当時の本能寺は現在の寺町通沿いではなく、堀川通沿いにありました。(堀川高校の近くです)
現在は石碑が建てられています。
信長ゆかりの地を巡られる際は立ち寄ってみてもいいかもしれませんね。
6月1日は写真の日!
本日6月1日は写真の日ということですが、
これは日本写真協会により設定された日で、日本独自の記念日となります。
この日は、1841年(天保12年)に、はじめて日本人により写真撮影がなされた(島津斉彬を写した)とされていたため、この6月1日を「写真の日」と決めました。
ところが、この情報は間違いであることが判明し、正しくは、1857年(安政4年)9月17日でした。
ただ、いったん定めたこともあり、そのまま6月1日が「写真の日」とされています。
日本で初めて写真を撮影された人物となった島津斉彬は薩摩藩の第11代藩主であり、あの西郷隆盛や大久保利通と共に幕末に活躍した人物の1人です。
西郷は斉彬を非常に慕っていたらしく、斉彬が死んだ時は号泣し、後を追おうとした程だったとか。
斉彬は自らも城の写真を撮るなど写真の技術に興味津々で、彼が撮った写真は中々出来が良かったそうです。
そういえば15代将軍徳川慶喜も隠居後に写真撮影にハマっていたみたいです。
というかこの人は自転車に乗ったり、手裏剣投げたりと結構好奇心旺盛で多趣味な人なんですけどね(笑)
因みに昔やってた「トリビアの泉」と言う番組で慶喜が撮った写真をプロの写真家に見せた結果、めちゃくちゃ酷評されたというのは内緒の話・・・。
そんな歴史上の偉人も愛した写真、私が子供の頃は撮った写真をわざわざ写真屋に現像しに行ってました。
(小さい時は「写るんです」などのインスタントカメラを使っていました。今もあるのかな?)
今は撮った写真はデータ化されてすぐ見れますからね、時代の流れはすごいです。
吉野ヶ里遺跡で邪馬台国時代の石棺が発見!
みなさんこんばんは!
先日、佐賀県の吉野ヶ里遺跡で邪馬台国時代の石棺墓が発見されました。
この石棺墓は見晴らしのいい丘陵頂部に単独で埋葬されており、石の表面にら多数の記号が刻まれていることから、有力者の墓の可能性が高いと言われています。
吉野ヶ里遺跡は弥生時代の大規模な集落跡で、約700年間にわたって、小さな村からクニの中心となる40ヘクタールを超える大環壕集落へと発展しました。
1991年に国の特別史跡に指定され、現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部が公開されています。
今回は、この発見をきっかけに、邪馬台国や空白の4世紀について少し掘り下げてみたいと思います。
弥生時代後期(邪馬台国の時代)
邪馬台国は、2世紀から3世紀にかけて日本列島に存在したとされる国で、女王卑弥呼が治めていました。
邪馬台国の位置は未だに諸説ありますが、九州説、畿内説などが有力です。
卑弥呼は巫女であり、鬼道によって国を統治していたとされます。
現在この卑弥呼と邪馬台国に関する記録は日本では発見されておらず、唯一の史料は中国の三国志時代に書かれた魏志倭人伝のみです。
空白の4世紀
空白の4世紀とは、日本の歴史上で記録がほとんど残っていない時代のことです。
3世紀末から5世紀初頭までの約100年間で、邪馬台国からヤマト王権への移行期と考えられています。
この期間の出来事は中国側でも記録が見つかっておらず、どのようにヤマト王権が生まれたのか未だわかっていません。
また、古墳時代の始まりでもあり、巨大な前方後円墳や銅鏡などが出土しています。
邪馬台国はどうなったのか、邪馬台国が発展してヤマト王権になったのか、空白の4世紀は日本古代史で一番謎とされる時代で今なお様々な説が行き交っているのが現状です。
今回の発見で何か解明されるといいですね!
まとめ
今回は、吉野ヶ里遺跡で発見された邪馬台国時代の石棺墓をきっかけに、邪馬台国や空白の4世紀について紹介しました。
これらの時代は、日本の歴史の中でも特に興味深い時代ですが、まだまだ解明されていないことが多くあります。
今回の発掘で、邪馬台国や空白の4世紀の新たな情報、新たな国の痕跡が見つかるかもしれませんね。
まだまだ発掘されていないエリアはあるようなので今後の発見に期待したいです!
発見された石棺墓は6月5日に公開されみたいです。
今から楽しみですね!
5月29日はこんにゃくの日
今回は、5月29日が「こんにゃくの日」であることをきっかけに、こんにゃくにまつわる情報をご紹介します。
■こんにゃくの日の由来
こんにゃくの日の由来は五(こ)二(に)九(く)で「こんにゃく」という語呂合わせがあるからです。
この語呂合わせは、1989年に全国こんにゃく協同組合連合会と一般財団法人日本こんにゃく協会が制定した記念日に使われました。
また、5月は、このこんにゃく芋の種芋を畑に植える時期だからという理由もあります。
こんにゃくの原料となるこんにゃく芋は、東南アジアが原産で、縄文時代に日本に伝わったと言われています。
■こんにゃくの面白い話
織田信長が赤こんにゃくを作らせたことがあります。
赤こんにゃくとは、白いこんにゃくを鮮やかな赤に染めたもので、派手好きとされる信長が赤く染めるように命じて作らせました。
今も滋賀県の特産品の一つです。
次はアニメの話ですが、ルパン三世に登場する石川五右衛門の愛刀である斬鉄剣。
ルパンファンの間では有名な話ですが、どんなものでも切ってしまう斬鉄剣でもこんにゃくは切れないんです。
詳しくはルパン三世PART2 61話「空飛ぶ斬鉄剣」をご覧ください。
斬鉄剣ってその回だけの設定もありますが、結構切れないものあるんですよね。(笑)
今回は、5月29日が「こんにゃくの日」であることをきっかけに、こんにゃくにまつわる話を紹介しました。
こんにゃくは、日本の食文化に深く根付いた食品です。
その健康効果や多様な料理法も魅力的なこんにゃく、この機会に食べてみてはいかがでしょうか?
ちなみに私はおでんのこんにゃくが好きです。
「首」はどこだコノヤロー
先日、カンヌ国際映画祭にて北野武監督作品「首」が世界初上映されました。
観客からはエンディングの途中から5分間のスタンディングオベーションが巻き起こり大盛況の中、幕を下ろしました。
世界のキタノは今もなお健在ですね。
同時に日本での公開日も11月23日と発表されたので今から楽しみです。
それにしても今年は「レジェンド&バタフライ」、「どうする家康」、「首」といろんな戦国三英傑が見れて面白いですね。
それぞれの役者さんが演じる信長、秀吉、家康を見比べてみても面白いかもしれません。
個人的に信長役の加瀬亮さんが楽しみです。
アウトレイジビヨンドでも面白い役をされていたので。
さて、公開前に小説でも買おうかと本屋に行きましたがどこにもない。
オンラインショップも売り切れ、「首」はどこだコノヤロー!
逆に読まずに映画を見た方が新鮮な気持ちで見れるので読まずに見ようかな?
5月27日はドラゴンクエストの日!!!
みなさんおはようございます!
5月27日はあのドラゴンクエストの1作目が発売された日です。
この1作目の発売日を2018年より"ドラゴンクエストの日"として認定されました。
ドラゴンクエストの日にちなんで、初代ドラクエの発売時の影響や裏話を紹介します。
ドラゴンクエストとは
ドラゴンクエストは、1986年5月27日にファミコン用ソフトとして発売されたRPGです。
堀井雄二がゲームデザイン、鳥山明がキャラクターデザイン、すぎやまこういちが音楽をそれぞれ担当。
プレイヤーが主人公となって冒険するというRPGの魅力を広く伝えることに成功し、日本を代表するゲームの1つとなりました。
この作品以前にもRPGは存在しましたが、ドラクエはRPGというゲームジャンルを広めた功労者とも言えるでしょう。
ドラクエが与えた影響
ドラゴンクエストは、発売当時から大きな話題となりました。
家庭用ゲーム機では日本初となるオリジナルタイトルのRPGであり、アニメ風のグラフィックやコマンドバトル、ふっかつのじゅもんなどの斬新な要素が多くのプレイヤーを魅了しました。
また、週刊少年ジャンプやテレビ番組などで積極的に宣伝されたこともあり、約150万本という驚異的な売上を記録しました。
続編のドラゴンクエストII 悪霊の神々は、1987年1月26日に発売され、パーティメンバーやマップの拡大などの進化を見せました。
さらに、1988年2月10日に発売されたドラクエIII そして伝説へ…は、職業や性別の選択、昼夜の変化、世界地図の変化などの革新的な要素を導入し、社会現象を巻き起こしました。
有名な話ですが、ドラクエⅢ発売当日には学校、会社を休んでまで店に並ぶ人があまりにも多かったため、以降は休日に発売するようになったみたいです。
(Ⅹのみ8月2日(木)、夏休みだからかな?)
裏話
ドラゴンクエストは、開発期間が約5か月と非常に短かったため、さまざまな工夫や苦労がありました。
いくつか紹介させていただきます。
有名なドラクエOP曲は、すぎやまこういちが便所に座りながら5分で考えたという話がある
日本じゃ聞いたことのないあのテーマがまさかトイレで生まれたというのは驚きですね。
最近ではオリンピックの開会式でも使われていました。
最初はいきなりフィールドから始まる予定だったが、テストプレイの結果、城に入るか街に入るかわからなかったり、スライムにやられてしまう問題がすぐに出たため、お蔵入りとなった
当時はRPGが普及していなかったので、操作も慣れていない状態でいきなりフィールドに放り出されると流石に混乱しますよね。
容量の関係でカタカナは20文字しか使えなかった
例えば「ク」の字が使えなかったのでダースドラゴンは本当はダークドラゴンの予定だった。
この文字数の制限の中で「メラ」や「ホイミ」といった呪文が生まれたんですね。違和感がないのがすごい・・・
こういう当時の開発者と容量の戦いはドラクエに限らず面白い話が多いです。
よかったら他の作品も調べてみてください!
まとめ
今回はドラゴンクエストの日にちなんで、初代ドラクエについて紹介しました。
初代ドラクエは日本初となるオリジナルタイトルのRPGであり、その後も多くの続編や派生作品を生み出し、社会現象も巻き起こした日本を代表するゲームシリーズの1つです。
今日は久しぶりにドラクエをしてみてもいいかもしれませんね。